僕はいない
発売から一ヶ月以上が経ち、渡辺美優紀は本当にいなくなった。
NMB48の「僕はいない」は彼女の卒業から時間が経てば経つほど力をもつ曲だ。
そもそも卒業ソングとは、その曲の主人公たる卒業メンバーがいなくなってしまうと途端に賞味期限が切れてしまう。
ライブで披露されるにしろ、曲の中心だった人物がいないのだからどこか不格好にならざるを得ない。
しかしこの「僕はいない」は卒業メンバーがすぐにいなくなることを予め想定した曲であるため、 というかその中心メンバーが不在である事それ自体が意味を持つ楽曲であるからして、センターたる渡辺美優紀が卒業してから時間が経つほど、より曲としての強みを増している。
映画「桐島、部活やめるってよ」で桐島本人が一切姿を表さないことにより、余計に存在の大きさが際立つ、あの原理である。
この曲は渡辺美優紀本人がいない状態で歌われることで、より強く渡辺美優紀の存在を意識させる、不思議な曲なのだ。
改めて聴くと、実はハッキリと渡辺美優紀の声が際立って聴こえるのは冒頭のソロ部分だけで、センターで在りながらそれ以外の部分ではほとんど彼女の歌声は目立たないのである。
「僕はいない」という曲は、卒業メンバーのために卒業ソングを書いても、その卒業メンバーは結局すぐに卒業してしまうという問題へのこれまでになかった最適解を出した楽曲だったのだ。
だからこの曲の存在によってNMB48における渡辺美優紀の存在は半永久的なものになったとも言えるかもしれない。
彼女なきあと、この曲に代わりのセンターはいらない。
センター不在でこそ歌われる曲なのだ。
「いくつの台風が通り過ぎたなら
君への想いは消えるのだろう」
という歌詞が、やたら台風の多いこの9月になって響いてきた。