navylight’s blog

当世のアイドルと前世のニューウェーブ

千の病を持つ男

有頂天 in CANYON YEARS 19861988 [DVD]



80年代にナゴムレコードというインディーレーベルを主宰し、現在は演劇界でも知られるケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下ケラ)が率いたバンド「有頂天」のキャニオンレコード時代の作品がボックスで再発されるということで、その代表作のひとつである「千の病を持つ男」という曲を紹介したい。
「千の病を持つ男」は元々インディー時代の楽曲なのだが、キャニオン時代でいうとライブアルバムの「SEARCH FOR 1/3 BOIL」に収録されている。

有頂天は基本的にニューウェーブサウンドのバンドで、この曲も例に漏れずファンシーなシンセが鳴り響き、疾走感があるメロディックでポップな曲調だ。

が、歌われているのは

「ほら見てよこの私 ヤマイ
いつでもヤマイ ヤマイが踊る」

という異端を半ば自虐的に誇示する歌詞。
当時現在とは比べものにならないほど肩身の狭かったであろうサブカルチャーに根ざしたバンドであった有頂天のテーマソングのような歌詞である。

聴き流してしまうとよくわからないかもしれないが、かなりブラックな内容。当時の流行り言葉でいうと「ほとんどビョーキ」みたいな感じだろうか。

意味がありそうで無さそうでありそうな歌詞というのがとても魅力的だ。

 

「とかくこの世はオバカサン
細胞のテキオウカクサン
今日も私の空アカイ はねかえる体の涙」

 

という締めの歌詞、自分が異端だという事を認めつつ世間にも「とかくこの世はオバカサン」と舌を出すこの態度が有頂天の魅力かと思う。

この曲の作詞はボーカルを務めるケラによるもので、
有頂天に影響を受けたバンドというのがゼロ年代初頭を中心に少し盛り上がっていたけれど、ケラのこのセンスを凌ぐコトバを持つバンドというのは正直あまり居なかったように思う。

歌詞なんてなんでもよさそうなフリをしながら、正面から日本語の歌詞と向き合っていた所こそ、有頂天が他のニューウェーブバンドと一線を画したところではないか。

ニューウェーブバンドだからといってサウンドばかり気にせずに歌詞にも耳を向けて欲しい、有頂天とはそんなバンドである。

 

 

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サーチ・フォー[1/3]~ボイル

サーチ・フォー[1/3]~ボイル

 

 

 

 

 

ツギニツヅケというお笑いライブ

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大好きなマッハスピード豪速球が出ているということで、新宿バッシュというライブハウスで行われている「ツギニツヅケ」というお笑いライブを見てきました。

 

マッハスピード豪速球の他に、スーパーニュウニュウ、曇天三男坊、世界少年、中村涼子、ロングロングという面子によるユニットライブ。
今回で始まって6回目らしいです。
普段はAマッソとヤングウッズがいるというが、今回は休み。

 

それぞれの本ネタ

それぞれの1分ネタ

マッハスピード豪速球による企画

 

という構成でしたが、特に企画が爆裂に面白かった。内容はマッハスピード豪速球の二人の様々な特技に他のユニットメンバーが挑むというもの。


三種の種目でマッハの二人にユニットメンバーが立ち向かったのですが、
まず一試合目は坂巻さんによる「爆音食べる音対決」これは咀嚼音が異常にうるさい坂巻さんが得意とする勝負。対戦相手同士で互いにどちらの咀嚼音がうるさいか競いました。
そして二試合は「目隠し叩いて被ってジャンケンポン」、これはガン太さんの特技で、無茶苦茶強かった。

咀嚼音で負けまくっていた坂巻さんと対照的にガン太さんの圧勝。

 

そしてそして、一番面白かったのが三試合目の「スイカの早食い」。

これはオーソドックスな勝負ですが、ルールは"皮まで全部食べきる"というもの。口を開けて何もなくなったら勝利ということだったのですが、スーパーニュウニュウの大将と中村涼子さんの二人にマッハスピード豪速球は惨敗。

負けまくって罰をうけたうえ、目標集客人数を達成できなかったマッハスピード豪速球はめちゃくちゃ不機嫌な態度でライブを終えていました。殴り合ってました。ていうか基本ガン太さんがボコられていた。

 

総括すると、

芸人のスープやスイカを吐き出しまくる姿が生で見れる貴重な体験だった。

 

このライブ、目標集客人数を達成し続けると、
最終回は浅草の東洋館のような大きな会場でやるらしいです。

次回の目標はマッハスピード豪速球が達成できなかった人数を繰り越して65人だとか。

 

マッハスピード豪速球youtubeの自分達のチャンネルでやっていたような企画が生で見れて、どの芸人さんのネタも面白く、良いライブでした。

まりちゃんのとと姉ちゃん

連続テレビ小説 とと姉ちゃん Part2 (NHKドラマ・ガイド)

今週のとと姉ちゃんは雑誌作りから話のメインが移って、次女の鞠子が夢だったり色々な事との折り合いをつけて、結婚するまでの話だった。

正直ここ最近のとと姉ちゃんの中ではあまり面白くない話だったかと思う。

もともと小説家を目指していた鞠子が憧れの平塚らいてうと初対面し、原稿を依頼、それをキッカケに心動いた鞠子が結婚を決心という流れ。

結婚相手の水田からのアプローチへの答えをを先延ばしにしていた鞠子が夢や仕事と折り合いをつけて、優しい水田の両親から認められてめでたく結婚。

滞りない、滞りなさすぎる。

平塚らいてうのキャラも憧れの人という割には、あまり神々しさも無かった。
あれだけ雑誌の編集に厳しい花山が平塚らいてうの企画と原稿には何の文句もつけずにOKをするのも、仕事にシビアな花山のキャラの揺らぎが見えてしまって、さすがの花山も権威には弱いのかと、なんだか思えてしまった。

これから鞠子に何か起こる伏線ならまた話は変わってくるけれど、今週のとと姉ちゃんはなんだかつまらなかったです。

また来週以降の展開に期待します。

ボブディランは返さない人達

雨/渡良瀬橋

欅坂46のゆいちゃんずの新曲「ボブディランは返さない」も発表され、昔のフォークソングも聴きたくなってきた。

前回は秋元康周辺のフォークソングをご紹介しましたが、今回はゆいちゃんずの先輩に当たるフォークソングを歌うアイドル、つまり"ボブディランは返さなそうな人達"の曲にスポットを当てたいと思う。

 

今回は森高千里の「渡良瀬橋」。
アイドルが唄うフォークソングとしてはかなり早い時期の曲だ。

厳密に言うとフォークソングではないのかもしれないが、大きく括ると確かにフォークソングだと思う。

前回紹介した「岬めぐり」も然り、フォークソングはこういう御当地性っていうのも面白い要素だ。
南こうせつかぐや姫の「神田川」とか。


森高千里って言えば最近だとtofubeatsなんかの若いミュージシャンからも再評価されていて、アイドルの将来の理想像的な感じもある。

 

ちなみにAKBの小嶋陽菜がオーディションで歌った曲っていうのがこの曲「渡良瀬橋」で、こじはるはラジオでも森高千里の「雨」が大好きと言っていて、ソラで歌っていた。
こじはるっていうのはAKBと昔のアイドルを歴史的に繋げて語る時には結構重要な人物だと思う。


松浦亜弥も「渡良瀬橋」はカバーしていたりと、色々なところで歌い継がれている曲だ。


アイドルとフォークソングっていうところでいうと、実はあのピンクレディーも元々はフォークデュオであるというのも興味深い。

渡良瀬橋

渡良瀬橋

 

ザ・シングルス(通常盤)

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語るなら未来を

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欅坂46のセカンドシングル「世界には愛しかない」のカップリングの「語るなら未来を」は前作「サイレントマジョリティー」の直系の続編である。

 

「もう失った人生なんて語るな」

 

という歌詞は過去を悔やんで先へ進まない者に対する戒めの言葉…といった感じだ。
サイレントマジョリティー」とはまた違ったカタチのメッセージソングである。

 

「今だから言えることは語るな
墓の中まで持っていけ」

 

あまり聴かないと思う、アイドルソングで"墓の中"って…。こういう些細に見える所が秋元康の他のアイドルの作詞と一線を画すところである。

 

「言葉にすれば安い願望と
オーバーに盛った真実」

 

ぜひとも居酒屋でクドい昔話をするオッさんがいたらその場で唄い踊りたい曲である。
というか居酒屋の有線でかかっていたらかなりヤバいと思う。

 

MV初公開のSHOWROOMでも話題になっていたが、衣装がウルトラ警備隊にそっくりなので、そこも見所である。

MVも是非見ていただきたい。振り付けは「サイレントマジョリティー」と同じTAKAHIROということだ。

しかしメンバーの守谷がウルトラセブンのウルトラ警備隊を即時に理解していたのにも驚いた、欅坂46のメンバー達にはまだまだ隠されたアビリティがありそうである。
そんな感じで未来を語ろう。

 

世界には愛しかない(TYPE-A)(DVD付)

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語るなら未来を…

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フォークソングを聴こう〜秋元康周辺の巻

「ザ・プレミアムベスト」青春のフォークソングス名曲集

欅坂46の「渋谷川」「ボブディランは返さない」、AKB48の「翼はいらない」もそうだが、とにかく今年の秋元康関連はフォークソングが多い。
というわけで今回はそんな秋元康にまつわったりまつわらなかったりするフォークソングを紹介しよう。

 

まずは旅情フォークの定番、山本コータローとウィークエンドの「岬めぐり」である。

https://itunes.apple.com/jp/album/jiameguri/id1115046832?i=1115046962&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog

秋元康はおそらくこの曲からは多大な影響を受けている。秋元康がプロデュースしたとんねるずの曲に「心めぐり」というこの曲のもろパロディな曲があって、パロディのクセにやたら感動する曲で、秋元康がおふざけからマジになる、ちょうど過渡期の作品かと思う。

 

 

市川と宮嶋

市川と宮嶋

 

 
同じアルバムに入っている「律子に乾杯」というのもフォーク時代の長渕のパロディで、なかなか良い曲だ。

 

GOOD-BYE青春

GOOD-BYE青春

  • 長渕 剛
  • J-Pop
  • ¥255

で、長渕剛である。彼は元々フォークシンガーであり、秋元康は長渕のオールナイトニッポン放送作家をやっていた。さらに長渕が初めて外部の作家にシングルの作詞をさせたのも秋元康だ。「情けねえ」という長渕のパロディで大ヒットを放った秋元康は実は「Good-Bye青春」などで本物の長渕の詩を書いたことのあるバリバリのインサイダーだったのである。

 

https://itunes.apple.com/jp/album/baii-seha-lian-renno-se/id76058616?i=76058624&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog

そしてもう一つ欠かせないのはベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」である。
ベッツィ&クリスは加藤和彦プロデュースによる外国人の少女二人組のフォークデュオだ。
欅坂46の「渋谷川」などを唄うゆいちゃんずのイメージの原型はこの辺であると見ている。
秋元康きたやまおさむへの尊敬などを語っていたこともあり、フォークル直系のこのユニットの曲から受けた影響も大きいだろう。

少し前にフレンチ・キスというAKBの派生ユニットが出した「思い出せない花」などはこの曲そのまんま過ぎて、訴えられたりしないのかと少しビクついたものである。凄い良い曲なのだが。

 

 

今回は特に直で秋元康に関係のあるフォークソングを紹介したが、確かに日本のフォークソングというのは40年前の一時のブームで終わらせるには惜しいほど、音楽のフォーマットとして普遍的な魅力を放っているし、秋元康しつこくフォークソングを意識した曲を書いて、フォークを復興させたいというような気持ちもとてもよく理解できる。

ゆいちゃんずの曲や「翼はいらない」でフォークソングがなんとなく気になった人は色々昔のフォークソングを聴いてみるのも面白いかもしれない。

あ、アングラフォークとかもあるので、とりあえず最初からそういうのを聴いちゃわないように気をつけてください。
逆にいいのかもしれないけど…。

 

フォーク・ベスト ?あの素晴らしい愛をもう一度

フォーク・ベスト ?あの素晴らしい愛をもう一度

 

 

 

渋谷からPARCOが消えた日

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平手友梨奈って中森明菜なんじゃないだろうか。ツイッターってラジオだ!以来のコロンブスのタマゴ的な感想を抱いてしまうほど、新曲「渋谷からPARCOが消えた日」の平手友梨奈中森明菜している。

曲調、編曲、どれをとっても中森明菜
特にサビの「パルコパルコパルコパルコパルコ…パルコパルコオンリーッ!」の所は完全に「DESIRE」の「ゲラッゲラッゲラッゲラッバーニングハーッ!」である。

で、タイトル通り2016年8月7日にPARCOは渋谷から消えたのである。
あの日、あなたは何をしていただろうか。
僕はお笑いライブを見に行ってゲラゲラ笑っていた。


前作「サイレントマジョリティー」の"渋谷"というコンセプトを唯一セカンドシングルで引き受けているのがこの曲かと思うが、
この「渋谷からPARCOが消えた日」という曲をもってあのコンセプトは一旦終わってしまうのだろうか。
「今の東京を歌う」という、よく考えると最近では珍しい大好きなコンセプトだったので、サード以降も続けてほしいものだ。

 

「2019その頃私は大人」

 

という歌詞があるように、PARCOがまた渋谷に復活するのは2019年の予定だ。
歌っている平手友梨奈はちょうど18歳になる。

その頃自分はどうなっているのだろうか、渋谷の街はどうなっているだろうか…考えさせる歌だ。

ちなみに歌詞を書いている秋元康にもPARCOは想い出深い場所だったろうと思う。
古くはPARCOは秋元康がプロデュースしていたとんねるずがプロへの決心を固めた場所であり、最近だと乃木坂46の「16人のプリンシパル」が初めて行われたのもPARCO劇場でのことであった。


PARCOはかつては若者向けサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」などの発行も行っており、単なるファッションビルでなく、文化の発信地的な意味も持つ大きな場所だった。

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ついこの間までスペイン坂スタジオで毎日のようにアイドルやバンドのミーハーなファンがごった返していたあの場所も、閉店からたった数日で当然のように閑散としてしまっていた。

 

しかし欅坂46のおかげで、見過ごしてしまいそうな街の風景がこんなにも詩的に思えてしまうのは、本当に凄い事だと思う。

終わりは始まりとはよくいうが、この曲にはそんな感覚も覚える。


単なる中森明菜のオマージュと思いきや、滅茶苦茶意味のある曲だ。
欅坂46、単なるアイドルグループにしては背負ってるものは大きい。

渋谷からPARCOが消えた日

渋谷からPARCOが消えた日