コンビニ人間を面白いとは言ってはいけない
とても面白かったが、この作品を面白いと思うような人は、あまり人にはこの作品を進めない方が良いのかもしれない。
普段は芥川賞の受賞作品だからといって、特別読むようなことはないのだけれど、なんとなくタイトルが気になっていた。
内容はというと日常生活の中でいわゆる"普通"の感覚を理解する事ができず、自分がコンビニ店員という事にのみアイデンティティーを唯一見出している古倉という女性の物語。
この作品では「マイノリティーを叩く事に容赦のないマジョリティー」がかなり強調されて描かれている。
そんなマジョリティー、世間一般の価値観にどう合わせていくか、コンビニ人間の自分が普通の人間の中にどう紛れ込んでいくかというような事が作品のテーマだ。
子供の頃から普通の感覚が理解できなかった古倉は18年間コンビニ店員としてアルバイトを続けていく中で、"普通のふり"を身につけた。
どういう事を言うと他人は自分に違和感を覚えるのか、そんな事に気を配りながら、当たり障りの無い会話をしていく。
日常でそういう事を意識的なり無意識的になり人は皆しているのだろうとは思うが、異常なまでに細かい心理描写が、そういった行為が本当はとても不自然な事なのだと思わせる。
「私の喋り方も、誰かに伝染しているのかもしれない。
こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。」
というこの部分。
日頃触れ合っている人間が変わると自分の口調も変わっていく、誰かの口調が誰かの口調に伝染していく、それは、他人に合わせなければいけないという人間の深層心理を現しているのではないだろうか。
37歳の独身のコンビニのアルバイトしかやった事のない人間がどのように生きてきて、どのようにこれから生きていくのか、未読の方は是非読んで頂きたい作品だ。
この「コンビニ人間」のような大きな声では薦めにくい傑作を多くの人に知れ渡らせ、適切な評価を与えるという意味でも、文学賞というのは意味があるのかもしれないと思った。