シュートサイン

47th Single「シュートサイン Type A」初回限定盤

こじはること小嶋陽菜のAKBラストシングルはプロレスの曲。
シュートサインというのはプロレスの「ここからガチで戦う」という合図らしい。

 

この曲はテレビ朝日でやってる「豆腐プロレス」というAKBのドラマの主題歌なのだが、
これも今までのAKBの今までのドラマとは少し違った雰囲気で面白い。
何が狙いなのかイマイチ分からないし、筋書きもそこまで良いとは思えないが、
とにかく雰囲気で魅せるドラマだ。
(※最新の7話は少しオチャラケた感じでいただけなかった)
マジなのか悪フザケなのか狙っているのか、そのへんがよくわからない所が好きだ。

 

「シュートサイン」は久々に歌謡曲している曲調だけど、こじはると言えば「ハートエレキ」をはじめ、
艷っぽい歌唱がこういうシュートサインみたいな曲にマッチしている。

全盛期のAKBのボーカルの象徴だったこじはるの声がこのシングルで聴くのも最後かと思うと口惜しい。
曲のアレンジでいいところは終盤の少しディスコっぽいブレイク。
終盤になるに従ってどんどん盛り上がっていく展開が聴かせる。

 

こじはるというのは歌手としての実力で言えばグループ随一だったと思うのだが、
そこまでそういう印象が無いのは歌だけじゃなくて彼女が何でもできちゃう人だったからだと思う。

このなんだかよくわからないけど染みるプロレスの歌で、あの頃のAKBがほんとに終わる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

二人セゾン〜What made you do that?

二人セゾン(TYPE-A)(DVD付)

欅坂46の3rdシングル「二人セゾン」は追憶の曲であり、希望の曲でもある。
恋人を季節に例えたその歌詞は、冬という一年の締めくくりの季節に聴くのに相応しい内容だ。

一番の歌詞に出てくる表現は秋元康としてはよく見るような表現も多いと思うが、キモはやはり二番だろう。

 

"What made you do that?"
(なんであんなことしたの…?)

 

この一節以降の展開の妙である。

 

"花の無い桜を見上げて
満開の日を想ったことはあったか?
想像しなきゃ 夢は見られない 心の窓"

 

パフォーマンスの際にセンターの平手友梨奈が巧みなソロダンスを見せつけるこの部分の歌詞は、特に素晴らしい。

冬の毎日の寒さから、春のあの暖かさというのはなかなか想像に難いのだけれど、確かに毎年春は訪れる。季節というものの神秘性すら感じられる。

 

春夏秋冬を謳った名曲。

 

 

 

僕はいない

やさしくするよりキスをして(初回限定盤)(DVD付)



発売から一ヶ月以上が経ち、渡辺美優紀は本当にいなくなった。


NMB48の「僕はいない」は彼女の卒業から時間が経てば経つほど力をもつ曲だ。


そもそも卒業ソングとは、その曲の主人公たる卒業メンバーがいなくなってしまうと途端に賞味期限が切れてしまう。
ライブで披露されるにしろ、曲の中心だった人物がいないのだからどこか不格好にならざるを得ない。
しかしこの「僕はいない」は卒業メンバーがすぐにいなくなることを予め想定した曲であるため、 というかその中心メンバーが不在である事それ自体が意味を持つ楽曲であるからして、センターたる渡辺美優紀が卒業してから時間が経つほど、より曲としての強みを増している。

 

映画「桐島、部活やめるってよ」で桐島本人が一切姿を表さないことにより、余計に存在の大きさが際立つ、あの原理である。

この曲は渡辺美優紀本人がいない状態で歌われることで、より強く渡辺美優紀の存在を意識させる、不思議な曲なのだ。
改めて聴くと、実はハッキリと渡辺美優紀の声が際立って聴こえるのは冒頭のソロ部分だけで、センターで在りながらそれ以外の部分ではほとんど彼女の歌声は目立たないのである。


「僕はいない」という曲は、卒業メンバーのために卒業ソングを書いても、その卒業メンバーは結局すぐに卒業してしまうという問題へのこれまでになかった最適解を出した楽曲だったのだ。
だからこの曲の存在によってNMB48における渡辺美優紀の存在は半永久的なものになったとも言えるかもしれない。
彼女なきあと、この曲に代わりのセンターはいらない。
センター不在でこそ歌われる曲なのだ。

 

「いくつの台風が通り過ぎたなら
君への想いは消えるのだろう」

 

という歌詞が、やたら台風の多いこの9月になって響いてきた。

僕はいない

僕はいない

 

僕はいない(通常盤Type-A)(DVD付)

僕はいない(通常盤Type-A)(DVD付)

 

 

 

また会ってください

世界には愛しかない(TYPE-B)(DVD付)

欅坂46「世界には愛しかない」のカップリング、長濱ねるの「また会ってください」。
スピッツのようなサウンドに乗った長濱ねるの歌唱は前作「乗り遅れたバス」よりも幾分上達しているように感じられる。
歌詞的にはこの「また会ってください」は「世界には愛しかない」の全カップリングのエンディングテーマのようなものであると言える。

 

「寂しさの風が木々たちを揺らし
蜩(ひぐらし)が名残惜しそうに鳴いた

 

憧れの影は
すぐそばを歩くのに
距離が縮まらない
恋の歩幅はもどかしいもの」


結局この歌の主人公は「また会ってください」とは一言も"あなた"に言えていない訳で、これは「会いたかった」という曲が象徴であるAKB48とはかなり対照的だ。

 

「誰よりも大切だから
フラれても後悔しない」


と歌っていたAKB48に対して、

 

「また会ってくださいその一言が言えない
あなたに負担をかけてしまいそうな気がして」


と歌う長濱ねるは如何にも欅坂46らしい。

地味な曲に思えて実は欅坂46アイデンティティーを示した重要な楽曲なのかもしれない。


そして、長濱ねるの属するひらがなけやきの「ひらがなけやき」もそうだったが、夏から秋への変化を感じさせる楽曲である。
「世界には愛しかない」には夏を感じさせる欅坂46の曲と秋を予感させるけやき坂46の曲が同居しているのだ。

 

 

 

世界には愛しかない(TYPE-B)(DVD付)

世界には愛しかない(TYPE-B)(DVD付)

 

 

 

また会ってください

また会ってください

 

 

 

 

 

 

今夜はShake it!〜ディスコとSKE48

今夜はShake it !



2016年8月17日に発売されたSKE48のニューシングル「金の愛、銀の愛」。
そのカップリングであるグループ内ユニット"ラブ・クレッシェンド"による新曲「今夜はShake it!」をオススメしたい。

ラブ・クレッシェンドは以前表題曲を歌った事もあり、単独でミュージックステーションに出た事もあるユニットだ。
メンバーは松井珠理奈江籠裕奈北川綾巴熊崎晴香、菅原茉椰、小畑優奈、後藤楽々の7人。

前回のシングル「チキンLINE」もサンタエスメラルダ調のディスコっぽい曲であったが、このラブ・クレッシェンドの「今夜はShake it!」もゴリゴリのディスコ曲である。
正直自分は最近のSKEの曲は詩的な魅力をあまり感じてこなかったのだけれど、その理由がなんとなく分かった気がする。
SKEの歌詞はもう他の48グループに秋元康が書く歌詞とは一線を画していて、乃木坂や欅坂の歌詞がポエトリックな面で特化しているとしたら、SKEの歌詞はダンスミュージックの歌詞としての機能に特化しているのである。
メッセージ性よりもムードを重視した歌詞なのだ。
これは深読みして難解に捉えるよりも音として受け取る事で真価を発揮するものだと思う。

そんな訳でこの曲の良さを伝えるにはなんとなくの感じをダンスミュージックの古典に例えるしかないのだけれど、「チキンLINE」がサンタエスメラルダだとすれば、「今夜はShake it!」はアラベスクビー・ジーズの世界である。
そもそもSKE48の初期の名作シングル「1234ヨロシク!」などもかなりディスコ寄りの曲であったし、SKEとディスコの相性はかなり良いのかもしれない。
揃いの衣装を着て規律の正しいダンスを踊るSKE48のパフォーマンスは、確かにディスコの名産地であるドイツを思わせる部分もある。
SKEがディスコに特化したアルバムとかを出したら、結構面白いと思う。

今夜はShake it !

今夜はShake it !

  • ラブ・クレッシェンド
  • J-Pop
  • ¥250

 

金の愛、銀の愛(劇場盤)

金の愛、銀の愛(劇場盤)

 

 

 

AKB48の黒い花びら〜BLACK FLOWER

UTB (アップ トゥ ボーイ) 2016年 10月号

AKB48の新曲「LOVE TRIP/しあわせを分けなさい」がついに発売された。
そのカップリングの中でも特に異質な楽曲「BLACK FLOWER」について。

 

そもそも最近のAKB48の曲に面白いものが少ない理由というのは、AKB48というグループの歴史が長くなってきたが故に、今までにグループが作り出してきた"AKBの曲"というイメージに縛られすぎているからだと考えている。


そんな中でこの「BLACK FLOWER」という曲はhuluで配信されている「CROW'S BLOOD」というドラマの挿入歌である事も作用してか、旧来のAKBの曲のイメージの呪縛から解き放たれ、これまでに無かった曲の作りをしている。


ボーカルもドラマでメインを務める宮脇咲良の声が印象的で、宮脇のソロといっても差し支えの無いくらいの比重で彼女の声が聴こえる。
宮脇咲良は明るいイメージと裏腹に、少しばかりの闇を抱えている印象というのがあって(ライブのMCなどでも時折メンバーから指摘されている)、それも上手く作用しているのかもしれない。


作曲は服部真紀子という武蔵野音楽大学で講師を務めるピアニストの方のようだ。
http://www.musashino-music.ac.jp/graduate/teacher/guest/piano/hattori/
ピアノがサウンドの核を成していて、宮脇の息遣いまでも聴き取る事のできる繊細な楽曲の作り、深いエコーは、これまでのAKB48の楽曲のイメージを激しく逸している。
こういった音作りをしているのは乃木坂46の舞台「じょしらく」の音楽も務めたミヤジマジュンだ。
ドラマの挿入歌というとマジすかやセーラーゾンビの時もそうだったが(CROW'S BLOODのサントラはセーラーゾンビと同じゲイリー芦屋でもある)、普段のAKBとは違った番外編的な楽曲が生まれる事がよく有るのだが、このような楽曲は普段からもっと作られていくべきだと思う。

 

歌詞はドラマのイメージに見合った不気味なもの、
「枯れて腐って
土に還っても
やがていつかは
生まれ変わるはず

黒い花びら
一度死んだって
黒い花びら
私は生きてる」


正直現状落ち込んで来てしまっているAKBで少し前まで次代のセンターと称されていた宮脇咲良が歌うこの歌詞はなんとなく重たい。


「黒い花びら
泣いているのは
なぜかな?
次は誰の番?」


もしAKBというグループについての揶揄も含まれているとしたら、悪ふざけの過ぎる歌詞ではあるが、ホラー作家としての秋元康の手腕が作詞活動で活かされているという稀な事案でもあると言える。


歌詞に出てくる「黒い花びら」という単語から触れずにはいられないのが、先日亡くなったばかりの永六輔の作詞、中村八大作曲による1959年発表の第一回レコード大賞受賞作、水原弘の「黒い花びら」である。

黒い花びら

黒い花びら

  • 水原 弘
  • ポップ
  • ¥250


この「黒い花びら」の冒頭の歌詞は


「黒い花びら静かに散った
あのひとは帰らぬ遠い夢」


というもので、AKB48「BLACK FLOWER」の秋元康による歌詞がこの水原弘「黒い花びら」から影響を受けている事は明白である。
しかしながら、永六輔の意図した"黒い花びら"が死にゆく恋人を描いていたのに対し、秋元康はその"黒い花びら"を一度死んでもまた蘇るゾンビのようなものとして描いている。
ここに秋元康のオリジナリティがあり、希代のラブソングの名曲をホラー化してしまうというのは、かなり大胆である。
少し違うかもしれないが、「ゴジラ」が「シンゴジラ」になったように、秋元康により「黒い花びら」が「BLACK FLOWER」に生まれ変わったようなものだ。
謡曲の再興というAKB48の隠れコンセプトの一つが、この曲ではわかりやすく実践されているのかもしれない。

 

自分は何もアイドルが明るい事ばかり歌う必要は無いと思っていて、こういうダークな楽曲というのは、AKBが新しく打ち出す事のできるイメージの可能性のひとつなのではないかと、この「BLACK FLOWER」を聴いて思った。
劇場盤にのみ収録されているカップリングなのだが、いっそのこと「LOVE TRIP」との両A面はこの楽曲でAKB48「LOVE TRIP/BLACK FLOWER」というカタチでリリースしていれば格好良かったんじゃないだろうか。
「CROW'S BLOOD」に全く興味の無い人にも広く聴いてほしい楽曲である。

BLACK FLOWER

BLACK FLOWER

 

 

 

 

 

 

ゴールデン☆ベスト 水原弘

ゴールデン☆ベスト 水原弘

 

 
ドラマ「CROW'S BLOOD」公式サイト:
http://hulu-japan.jp/crows-blood/sp/

 

電撃的東京の考え方

電撃的東京

ロックはロックでJ-POP(歌謡曲)など聴くには値しない、ロック好きにはよくある考え方だ。
しかし、それを覆して歌謡曲だって十二分にロックであるという事を謳った先人がいた。
近田春夫である。

近田春夫の歌謡曲リスペクトの理論編が著書「気分は歌謡曲」なら、「電撃的東京」はその実践編である。
1978年にリリースされた本作は、当時の歌謡曲の中から近田春夫の特に気に入った曲の近田春夫とハルヲフォンによるロックアレンジのカバー集である。
自分がこのアルバムが近年のJ-POPのパンクやメタルアレンジのカバー集と一線を画していると思うところは、カバーの原曲を聴いてみると、大胆にロックアレンジされていると思いきや、意外にも原曲に割と忠実なアレンジのカバーなのである。
こういった点からこのアルバムが「ダサいものをカッコよく」というよりは、「カッコよいものをよりカッコよく」という思想の元制作されたであろう事が分かる。
つまり、近田春夫は歌謡曲という実は先進的な音楽をやっているものを、ロックとして演じることによって偏見を無くし、純粋に"曲"として世の中に問いたかったのではないだろうか。
ボーダーレスに音楽を音楽として捉えていた彼だったからこそ、テクノやヒップホップなどにも早い段階で理解を示せたのかもしれない。
近田春夫のような立場で音楽を捉えるミュージシャンは、ヒップホップ畑などでは"ディグる"というような言葉が象徴的なように、決して珍しい存在ではなくなっている。
しかし、ロックの世界では、当時の近田春夫のような存在は殆どいないのではないだろうか。
当時はジャズなどの先行ジャンルから差別をされていたロックが、今は一番他のジャンルに差別的で、他のジャンルの音楽を聴く耳を持たなくなってしまっている気がする。
そんな中でミスチル乃木坂46の曲のカバーしたといった話や、アイドルソングに理解の深いBase ball bearの小出の存在は非常に貴重だ。
音楽ジャンルはどんどん細分化されていくが、聴く側としても、それは多分とてもつまらないことで、ジャンル分けさえ無ければ、もっと面白い音楽に出逢える確率も上がるのだろうと思う。
それにしても近田春夫、一番すごいのはやはり、言いっぱなしではなくしっかり理論を実践へ移した事である。

 

定本 気分は歌謡曲

定本 気分は歌謡曲

 

 

 

電撃的東京

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