嵐のマッチョマン
ディスコブームというのが70年代後半のことだから、87年に出たこの曲は、当時としては10年近く前のブームを弄っていることになるのだろうか。
そして歌詞には、アラベスクの「ハローミスターモンキー」、シックの「おしゃれフリーク」、つのだ☆ひろ「メリージェーン」、ホット・ブラッド「ソウルドラキュラ」等、当時の日本のディスコを彩った名曲タイトルのオンパレードである。ハッキリ言ってこの「嵐のマッチョマン」は、「分かる人には分かる固有名詞」を散りばめて共感を誘うという秋元康の常套手段の使用例の最たるモノである。
というかもうここまで来るとやり過ぎのキライがある、もはや潔い。
最後の大サビ前に和製ディスコの名曲「かわいい人よ」を入れる辺り、実に通である。
さらにこの曲で特筆するべきは、これもまた秋元康の常套手段であり、凄いところなのだが、楽曲を「その人にしか歌えない曲」にしてしまうのである。
この曲で言えば冒頭のタカさんのお得意レパートリー、ショーケンの「アイアイアイアイア〜!」のモノマネパートでなどである。
「その人にしか歌えない」というより「ある特定の人物が歌うことにより意味が出る」と言った方が正しいかもしれない。それはAKBなどの最近の秋元氏の詩作にも言えることだろう。
ましてや「上高地で仮眠して」とか「浦和までは帰れない」とか、今聴くと全く理解不能な当時のとんねるずの二人の友人ネタなどが織り交ぜられたこの曲は、"当時の"とんねるずが歌うことしか想定されていないのである。
少し時を経てカラオケがブームになり、誰でも歌える歌詞の曲が流行っている時代が有ったが、そういった曲とは対極に位置するのが、当時の秋元康の歌詞であり、とんねるずの曲であり、この「嵐のマッチョマン」なのだ。「川の流れのように」なども普遍性は有るが、やはり"当時の"美空ひばりが歌うというのがベストな曲だと思う。
「雨の西麻布」の「双子のリリーズ」で味をしめた秋元康がその固有名詞使いをフルにハードに発揮した「嵐のマッチョマン」、一聴の価値有りである。