甘噛み姫、サイレントマジョリティーとの対比
もはや現時点で2016年を代表する曲のひとつといってもよいほど評価が決定づけられている欅坂46の「サイレントマジョリティー」。
あの曲が出て以降、48グループの出す曲はすべて「サイレントマジョリティー」と比べられてしまうという宿命と戦わなければならなくなってしまった。
甘噛み姫のリリースとその背景
今回紹介したいNMB48の「甘噛み姫」のリリースは2016年4月27日発売。
「サイレントマジョリティー」のリリースがあったのが4月6日。さらに、4月27日というのは、欅坂46がミュージックステーションに新人アーティスト史上最速での出演をとげた数日後、かなりの逆境のなかでのリリースであった。
欅坂46の「サイレントマジョリティー」への対抗意識というのはメンバーも勿論持ち合わせていて、甘噛み姫リリース直後のKawaiianTV「やったんでぃチューズディ#16」(2016年5月3日放送)にて、選抜メンバーのひとりである太田夢莉はこのような発言をしている。
「最近欅坂46が売り上げ枚数がすごくて
プレッシャーを感じる。売り上げ枚数を考えるようになった」(甘噛み姫がデイリーランキングで1位をとったという話を受けて)
もはやデイリーランキングやウィークリーランキングの順位というよりも、"サイレントマジョリティーの売り上げ"というものがひとつの指標になっているのかもしれない。
しかしながら「甘噛み姫」というのはこれまで卒業ソングやダンス選抜などの変則的なリリースが多かったNMB48としては、久々の直球で攻めた曲であったと思う。
大雑把に言うと欧陽菲菲の「雨の御堂筋」的な艷っぽい世界観の現代的再現という感じだろうか。2012年の「ヴァージニティ」などが代表的なところで、とりあえず48グループのなかでは歌謡曲っぽい曲の多さ、そしてそのハマり具合では頭抜けている。
演奏のメインはギターとストリングスにあり、
初期NMBの代表的メンバー山本彩・渡辺美優紀・山田菜奈などはかなり声に特徴のあるメンバーであり、メンバーの声質というのには設立時からかなりグループとしても重きを置いているのであろう。ドリアン少年でセンターを勤めた須藤なども非常に特徴のある声をしていた。
そしてギミック主義なタイトルからすれば、意外に物語性のある歌詞。
男女の付き合いのなかで次第に生じてきてしまったズレについて歌われている。
"甘噛み"に次第に嫌悪感を感じるようになるまでの微妙な感情の変化の比喩の羅列で曲が進んでいく。とにかくこの情景描写が本当に巧みである。
そして、導入から最後の「だけど今は凶暴すぎて 顔をしかめてしまった」
という締めのフレーズまで、すべて聴いてこそこの曲は成立する。
だからこそ最近はとくに盛り上がる部分だけを抜粋したショートバージョンのMVしかYouTubeにアップされないところを、全編公開しているのだろう(勿論、先にでた「サイレントマジョリティー」のMVが期間限定の全編公開から話題に火が点いたことも無関係ではないと思う)。
ちなみに、歌詞については、邪推にはなるが秋元康が現在プロデュースワークにおいて感じているもどかしさのようなものを体現した内容でもあると思う。
ミュージックビデオの重要性
難色を示すとすれば、「甘噛み姫」はMVの焦点がかなりブレたものになっていた事は避ける訳にはいかないだろう。甘噛み姫の楽曲がクオリティ的にサイレントマジョリティとそれほど大差がないもので有るとここではそう判断させてもらうならば、やはりMVという点においてこの曲は少しばかり損をしているのではないだろうか。
「甘噛み姫」のMVは、製作側の"物語性を保ちたい"という欲求と"視覚に訴えたい"という欲求がどちらも中途半端なものになってしまっていると思う。沢山のメンバーに焦点を当てようとするあまり、物語として見るにはかなり見づらくなってしまっている。
AKB48の「翼はいらない」のMVを見ていても感じたのだが、物語性のあるMVというのが、もはや時代にそぐわないというのはあるのかもしれない。物語性のあるMVは、短い時間の間に出てくるシーンが多すぎて、印象が分散してしまうのである。何度も見ていると良い部分にも気付いてくるのだけれど、こうなってしまうとファーストインプレッションでかなり弱くなってくる。そういったなかで、シーンの数を極限まで抑え、平手を中心に据えていながらも一瞬ずつではあるが全メンバーの顔のアップも有るという「サイレントマジョリティー」のMVがどれだけ完成されたものであったかも感じることができる。
甘噛み姫とは何なのか
と、ここまで「甘噛み姫」を「サイレントマジョリティー」との対比を中心に考えてきた。
売り上げや話題性で言えば「サイレントマジョリティー」に圧倒的な差を見せつけられてしまった「甘噛み姫」。