navylight’s blog

当世のアイドルと前世のニューウェーブ

最後まで見た「重版出来!」

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ドラマ「重版出来!」の評判は気づけばどんどん広がっていき、最終回の頃にはちょっとした盛り上がりを見せていた。

事実僕自身、初回を見てあまり良くは思わなかったのにも関わらず、なんとなく気になって見続け、結局最後まで見てしまった。
確かに最終回まで毎回見てきて、面白いドラマではあったと思う。
しかしやっぱりこのドラマの初回を見たときの違和感みたいなものはどこか拭い去れない。
つまらないという訳ではないが、胸を張って最高に面白いドラマだとは言い切れないモヤモヤがなんとなくある。

初回を見たときに僕が指摘した黒沢心のあまりにも朝ドラっぽい設定だとかは、物語の進行につれ黒沢心は話の中心というよりかは、ある種出来事を外側から見守る存在のようになっていったので、それほど気にならなくなっていった。このことが中盤以降のドラマの見やすさに繋がっていったと思う。

最初に思った通り、このドラマは若者を主役に置いてこそいるものの、実のところ中年以上の世代が話の中心なので、いちいち無理して若者を絡めない方がまどろっこしくなく見れるのだ。

思えば最後も三倉山先生のまだまだ書き続けるという宣言のスピーチで終わったこともあり、やはり制作側の目線は常に彼のような世代にあったのだと感じる。
序盤で丸々一話使って社長の生い立ちが語られる回などは急に挿入される意味があまりよく分からなかったのだけれど、こうして終わってみると何故あのような話があそこで出てきたのかも頷ける。

初回で一番気になった三倉山先生のアシスタントのことについてだが、結果的にアシスタントとして大成したのは中盤で出てきた天才中田だけであった。
このドラマは実は登場人物で成功しているのは殆どがそういったある意味天才的な人物ばかりであり、漫画家残酷物語の様相を呈している部分がある(安田顕が演じていた編集者のSNSのアカウント名は編集者残酷物語だった)。
エリートたちだけが生き残っていき、弱者は去るのみのその世界観はある種ドラゴンボールのようでもあった。ムロツヨシが実家に帰る件はクリリンが戦闘に参加しなくなる展開を思わせた…かもしれない。

そこで凄いと思ったのがムロツヨシの演技である。
初回では三倉山に歯向い"逃亡した彼"以外のアシスタントには"アシスタントとして働く現状"にとくに不満を感じさせるエピソードはハッキリとは出てこなかったのだけれど、10年アシスタントを続けていつまでもデビューすることができない人間の心の闇を、そのどことなく漂う雰囲気だけでムロツヨシは体現していたと思う。
この辺りはムロツヨシの演じたアシスタントの顛末を全く知らずに初回の彼の演技を見て僕が抱いた感想を書いた以前の記事を読んでいただけると、よりおわかり頂けるかもしれない。
navylight.hatenablog.com


ひとまとめにすると、重版出来というのは「才能と能力がある人間だけが生き残っていける世界は残酷だが、才能がある人間にも能力がある人間にも大変な苦労と葛藤がある」という、
そういうことが言いたかったドラマなのではないかと思った。

ひとつの作品が出来上がるまでの色々な人の熱意や努力、そういった部分での評価が多いのだろうけど、自分はそこに一番注目して見てしまった。

詰まる所僕がこのドラマが中盤以降割と面白く、毎週見続けたにも関わらずあまり肯定したくない理由は、このドラマがそういう当たり前の事を大声を上げて高らかに最もらしく宣言しているからだと思う。

だから役者さんの演技も素晴らしかったし、感動する話もあったけれど、このドラマがどうしても若者向けのポップな体裁を装ったお説教ドラマに思えてならない。

最後まで見ておいてこんなことを書くのは、文化祭に打ち上げまで参加しといて、打ち上げ会場で一人で心ここにあらずな感じ…とでもいうのか。

なので僕は同じクールで放送され、現在最終回を残すのみとなった「ゆとりですがなにか」の方を断固支持したい。真実に若者の気持ちを代弁しているのはあちらの作品だと思う。

奇しくもムロツヨシの演じたアシスタントが帰った実家も、「ゆとりですがなにか」の主人公が継ぐことにした実家もどちらも酒屋なのだけれど、
悲愴感を抱いたムロツヨシよりも岡田将生の方が圧倒的に楽しそうだ。同じ実家の酒屋を継ぐというのも描き方やシチュエーションでここまで違うのかと感じる。
普通の人(もしくはそれ以下)の存在を認めてくれる「ゆとりですがなにか」の方が現実の味方だと思う。あの世界では全員が前向きな生存を許されている。

というわけで長々とまとまらない文を書いてしまったが、「重版出来!」を最後まで見て思ったことは、"数日後の「ゆとりですがなにか」の最終回が楽しみだ"ということだった。

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