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色々なサイレントマジョリティー

驚くべきことに配信チャートでも未だに上位をキープし続けている欅坂46のサイレントマジョリティーなのだけれど、実は表記こそ違えど数年前に同じタイトルの曲が出ている。
(Where's)THE SILENT MAJORITY?
高橋優/(Where's)THE SILENT MAJORITY?


園子温で話題となったテレビ東京の深夜ドラマ「みんな!エスパーだよ!」の主題歌であった曲である。後発の秋元康のタイトルはパクリだとかいうのは簡単なことなのだが。
この高橋優の曲の

Sex Pistolsは愛を歌わなかったけれど Love&Peaceを叫んでるような気がした」

「ここで生きてゆく僕らのBlowin' in the wind」

「人間でなく二次元が元気なこの国の居心地はどう?」

といった歌詞を改めて見て、
こういった表現が気になってしまった。

ここで歌われているサイレントマジョリティーは秋元康が欅坂46の歌詞で提示したサイレントマジョリティーとはかなり性格が異なる。
なんとなく思ったのは、
実体験をもってここ何十年かの世の中の空気を感じてきた秋元の歌詞の方が、
"今なり"の歌詞になっているということだ。

固有名詞の扱いに長ける秋元康だが、サイレントマジョリティーでは具体的な何かの名称というのは一切出てこない。しかしながら、この歌詞は今という時代の空気を見事に映し出している。


さらに言うならば、歌詞から受けることのできるイマジネーションの範囲が自由である秋元の歌詞に比べ、高橋優の作品の場合彼自身の思想性が強く出ているため、メッセージがかなり限定的なものになっていると思うのだ。
これはロックミュージシャンと職業作家という作詞者の属性の違いゆえだと思われる。



冒頭の歌詞が

「ロックンロールを奏でた人達が唄った Love&Peaceは今どこにありますか?」

ということから感じられるのは、「昔の若者は声を上げていた、なのに君達は何故声をあげない?」そんなメッセージ性である。


少なくとも僕は、秋元の歌詞からの方が自由な可能性を感じた。
ロックの歌詞はひとつの生き方を提示してくれるもので、歌謡曲の歌詞はどう考えるかを提示してくれるもの、そんな違いなのかもしれない。
もちろん、それは歌謡曲というものがハナから万人受けを狙っているからなのだけれど。