秋元康のEXD44がテレビに作家性を持ち込む

企画脳 (PHP文庫)

秋元康の新番組「EXD44」が面白くなってきた。
初回は秋元康の存在感のなさだとか企画がさほど斬新ではないことからそんなに面白いという感想を抱かなかったのだけれど、
二回目の内容を見て、ああ、あれはやはりフリだったのだなあということに気がついた。
やはりこれは秋元康の番組だ、そんじょそこらにある新人ディレクターお試し番組じゃない。
秋元はこの番組を通して、出演者である若手ディレクターたちをキャラクターとして成立させようとしている。

秋元が今この番組で行おうとしていることは、テレビ番組への作家性の導入である。

漫画やアニメ、映画などには作家に対する奥深いファンがいる。漫画であれば手塚治虫がいたし、冨樫義博がいたり古谷実がいたり。映画にもヒッチコックや黒澤がいて、北野武がいる。
持続的なファンは基本的に作品ではなく監督につく。

ところが今のテレビには作家がいない。
一応かつては横澤、三宅、石田というのが居たとは思うが。
正確に言えば今もいるのかもしれない、だけれど表には名前が見えてこない、テレ東の伊藤Pや佐久間さんくらいだろう。
番組にどんなスタッフが関わっているのか、把握しているのは一部の熱心なテレビ好きだけだろう。


特にこの番組の第二回では、ディレクターそれぞれの個性が一回目に比べて分かりやすく紹介されていた。

その象徴といえるのが第一回を欠席し、二回目から突如としてあらわれた芦田ディレクター(以下芦田D)だろう。
第二回はあまりに不評であった第一回を受けての反省会という内容だったのだが、
唯一初回に居合わせなかった芦田Dは、それをいいことにか知らないが、客観的な視点でとにかく言いたいことを言いまくる。

一回目の放送のぬるさを批評し、ディレクター同士の先輩後輩の力関係だとか同期同士の関係性だとか徹底的にほじくりかえす。
これによって初回では分かりにくかったメンバーそれぞれの関係が見えてくる。
関係性が際立つとそれぞれのキャラクターも見えてくる。

さらに彼の一回目に放送された作品についての歯に衣着せぬものいい。

二回目の番組が一回目の批評になっていた。
ここでは二回目から参加した芦田Dがとにかくキーパーソンだった。


そして先日の第三回では、この言いたい放題だった芦田Dの作品が放送されたのだが、少なくとも自分には初回に放送されたどの作品より面白く感じられた。


しかしこの作品が初回のディレクター達の作品と比べて明確におもしろかったのかどうなのかは最早公平に判断することはできない。
なぜならこの面白さは、二回目の放送で知ってしまった芦田Dのキャラクター込みのものであるかもしれないからだ(芦田DはVTR中での進行さえこなしていた)。

誰だか知らない人が作った映像よりもどんな人が作ったか知っている映像のほうが当然面白さは増してくる。

どんな巨匠の名作であれ、
その巨匠の名前がなかったらさしたる作品ではないと感じそうなものは沢山ある。
しかし、どんな駄作であれ作家性が保たれていれば、盆百の他の駄作に比べれば幾分興味深く見ることができる。
そしてつい先日放送された三回目でそれは実証された。

この番組はディレクターのもちよった作品という”結果”を見せるだけの番組ではない。
それぞれのディレクターの成長だとかそういうものを楽しむ番組なんだと思う。
すなわちディレクターたちがつくってくるVTRはハッキリいってつまらなくても一向にかまわない。
それにたいする反省が面白ければ良いのである。
そしてそこで育まれたディレクターたちのキャラクター、すなわち作家性が重要だと思う。



この番組が終わった後、例えば
「誰の出ている番組だから見る」ではなく、
「どのディレクターが作っている番組だから見る」というようなテレビ番組の見方が浸透するようになれば、
この番組は大成功だし、
あくまで出演者中心のテレビにとっては変革となることであろう。

この番組はテレビ番組の見方さえも変える可能性のあるすごい番組だったのである。