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誰が誰でもおんなじザンス

 

 

最近何かと話題だったアニメ「おそ松さん」。

ついに先日最終回を迎えた。

 

気が向いたときに面白そうな話を動画配信サイトで見ていた程度なのだが、

普段あまり最近のアニメを見ない自分も、

ウーンと唸らされる作品だ。

全部見たわけでもないのに偉そうだし、

いろんな要因が有って人気なのだろうが、

見ていて考えた。

 

 

 

 

 

そもそも原作の「おそ松くん」という作品における六つ子の兄弟は、

とことん無個性であったと言って差し支え無いであろう。

六人同じ顔が揃っているという設定は、

作品の連載が始まった当初の、

牧歌的だった少年漫画の世界では充分笑いの要因となり得たのだろうが、

作品の進行と時代の流れと共に話の中心はイヤミやチビ太などのサブキャラが担っていくことになる。

 

そもそも、実写ならまだしも漫画で同じ顔が揃っているということはそれほど面白さを誘わない。

同じ顔が揃ったくらいでいちいちウケていたら、

あだち充の漫画などはどんな感動シーンでも笑いを禁じ得ないだろう。

 

そんなわけで天才バカボン、モーレツア太郎、ひみつのアッコちゃんなどの他の作品の中にあっても、

おそ松くんの六つ子というのは、有名な割にとりわけ個性の弱い存在であった。

 

 

 

そんなおそ松くん達六人にキザなプレイボーイだったり、

能天気な天然だったりそれぞれ六者六様の個性を与えているのが、

今回の「おそ松さん」最大の特徴と言えるだろう。

 

 

 

個性的に生まれ変わったおそ松くんたち(以下おそ松さん)であるが、

やっていることは親のスネを囓ってニートである。

ニートのおそ松さん達はなんとか社会に出ようと、就職試験を受けたり、お笑い養成所へ通ったりして、

なんとか自立を目指したり目指さなかったりする。

 

ここで面白いのは、

表面上少しずつ服装が違ったり、

性格も違うおそ松さんたちなのだが、

本質的には全員親元を離れられないニートという所なのである。

おそ松さん達は個性的なようで有って本質的にはそんなに代わり映えのしない、

番組のエンディングテーマの歌詞でイヤミが唄っているように「誰が誰でもおんなじザンス」なのである。

 

このエンディングテーマで六つ子たちは毎回、

各々の個性を打ち出した語りをするのであるが、

その後で付け足されるイヤミの唄う歌詞は毎回、

「誰が誰でもおんなじザンス」なのだ。

 

 

 

結局何もやっていない若者たちが、

「こう見られたい」願望を元にどう足掻いた所で、

イヤミなオトナから見れば「誰が誰でもおんなじ」なのである。

 

 

 

若者にとっては皮肉な話なのだが、

それにこぞって夢中なのが、

かく言う若者達自身なのである。

 

 

 

団塊の世代の若者たちは、

どんなに踏まれてもアジり続けるニャロメに共感したというが、

現代の若者たちが共感するのは、

個性を持った自分になりたくてなりたくてしょうがないのに、

周りから見れば結局「誰が誰でもおんなじ」な

おそ松さん…、なのかもしれない。

 

 

 

 

ただ、このアニメは普通に面白くて笑います。